2012年05月13日 「レバ刺し」、近日、ご禁制品に・・・ [食文化論]
2012年05月13日 「レバ刺し」、近日、ご禁制品に・・・
5月13日(日)
いよいよ「レバ刺し」がご禁制品になる日が近づいてきた。
今年の夏は、「レバ刺し」を肴に冷たいビール、というわけにはいかなくなりそうだ。
この問題は、以前にも取り上げたが、基本的な対立点は、国民の健康を考えた食品衛生管理の徹底か、個人の食習慣・食物嗜好の尊重か、ということだ。
2011年06月29日 「レバ刺し」法的規制の可能性
http://zoku-tasogare-3.blog.so-net.ne.jp/2013-02-02-6
日本では、仏教が浸透した奈良時代以降、江戸時代まで、「殺生禁断」の教えから肉食はほとんど行われていなかった(鯨類は除く)。
もっとも「薬食い」とか「山くじら」とか、抜け道はあったが・・・。
明治の文明開化以後、肉食は急速に普及したが、それでも肉の生食は、まったくと言っていいほど行われなかった。
地方によっては馬や鶏の生食文化が細々とあったが・・・。
それは、牛や豚の生食が、衛生上、リスクが高いことが広く知られていたからだ。
具体的に言えば、寄生虫の感染、細菌による食中毒であり、しかも命にかかわる重篤な症状になることも経験的に知られていた。
だから、肉はよく焼いて(火を通して)食べるのは、一般家庭でも常識だった。
さらに、牛や豚の内臓ということになると、さらにリスクは高くなる。
だから戦前までは、内臓肉を一般人が食べることはまずなかった。
内臓肉を「モツ煮込み」や「モツ焼き」として食べることが一般に広まったのは、戦後の食糧難の時代だと思う。
早い話「闇市」の食文化だった。
それでも、よくよく火を通して食べたことにかわりはない。
牛肉の生食であるユッケを最初に見たのは、父親の患者さんで、かつ私の小学校の同級生である在日朝鮮人の一家が経営している朝鮮焼き肉屋に招かれた時だった。
たぶん1967年前後だと思う。
出されたユッケを父親は食べたが、「おまえは止めておきなさい」と言われて私は食べさせてもらえなかった。
実際にユッケを食べたのは、東京に出て大学に入って少ししてからだった。
学芸大学駅東口商店街にあった、おいしい朝鮮焼肉屋で父親と妹と3人で会食した時、初めてユッケを食べた。
時期は1975年くらいのはずだ。
レバ刺となると、さらに後になる。
1994年か95年か、六本木で遊んでいた頃に、ナンパされたおじさんに連れて行かれた高級韓国焼肉店で食べたのがたぶん初めてだったと思う。
「食べてごらん、精がつくよ」「あたしに精をつけてどうするんですか?」みたいな、しょうもない会話が思い浮かぶ。
確かめた訳ではないが、レバ刺の普及は、バブル期(1990年前後)の韓国系高級焼肉店が始まりだったにではなかろうか?
その頃(1990年代半ば)まで、ユッケやレバ刺はかなりの高級メニューだった。
そして、まぎれもなく、朝鮮・韓国系の食文化だった。
2000年代、ユッケやレバ刺が、どんどん廉価になり大衆化し、たくさんの常食者を持つまでに至った経過を、私はほとんど知らない。
もともと肉の生食には嗜好がないし(馬刺しは除く)、そういう店に行く機会もなかったので。
だから、昨年の富山の食中毒死事件をきっかけに、ユッケやレバ刺が500円以下の低価格で大量に提供されていることを知って、かなり驚いた。
いったいなぜ、これほど多くの日本人が、短期間に急速に朝鮮・韓国系の生肉食文化に染まっていったのか? 食文化的に興味がある。
魚の刺身など日本の伝統的な食文化である「生食」嗜好と、アメリカの食文化に強く影響された戦後育ちの「肉食」嗜好が合体した結果と考えるのが、妥当なところだろう。
しかし、それがなぜ2000年代に起こったのか?は、まだ疑問だ。
生肉食が常態化し強い生肉嗜好を持つ人がこれだけいるのだから、いくら法律で禁止しても、闇メニューで提供する店はなくならないだろう。
この夏から、法規制と闇レバ刺の「いたちごっこ」が始まるだろう。
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牛レバー生食禁止 焼き肉店困惑
「国に逆らえず」「納得できない」
食中毒を防ぐため、牛の肝臓(レバー)を生食用として提供することを全国一律で禁止する厚生労働省の方針に、県内の焼き肉店から「生レバーを楽しみにしているお客さんに申し訳ない」と困惑の声が上がっている。7月にも始まる禁止措置の開始を前に、県は販売自粛を要請。メニューから生レバーを外す店が増える一方で、「衛生に気をつけてギリギリまで出す」という店もある。(辻田秀樹)
◇すでに自粛の店も
販売が禁止されることになった生レバー 厚労省の方針を受けて県は昨年12月以降、保健所を通じて、生食用牛レバーの販売自粛を飲食店主らに文書で呼びかけている。県生活衛生課は「困った事態が起きてからでは遅い。速やかに生レバーの提供をやめてほしい」としている。
こうした動きに対応してメニューから生レバーを外した岡山市内の焼き肉店では、「国や県には逆らえないが、お客さんに『食べられないの』と聞かれるのがつらくて」とため息をつく。
一方、「法律で規制されるまで売り続ける」という店も。同市内の創業30年以上の店では「ずっと生レバーを出しているが、調理には細心の注意を払っており、食中毒は起こしたことがない。禁止には納得できない」と店主が語気を強める。
同店は、インターネットのグルメ情報サイトで生レバーの写真が掲載されており、ネットを見て訪れる客が多い日で50組に上る。ネットで同店を知ったという男性会社員(43)は「行きつけの店が生レバーを出さなくなったので寂しく感じていた。禁止されるまでに、また来ます」と話した。
◇禁止の理由
厚労省が生レバー禁止に踏み切ったきっかけは、昨年4~5月、富山県などで5人が死亡した焼き肉チェーン店の集団食中毒事件だ。厚労省の要請で専門家が牛レバーの安全性を調べたところ、内部から腸管出血性大腸菌などが見つかった。内部まで加熱しない限り、完全に除去するのは難しいといい、「生食での有効な対策は見いだせない」と結論づけたという。
その後も福岡、大阪、東京、岐阜などの各府県で、レバ刺しなどが原因とみられる集団食中毒が発生。厚労省は「食中毒が増える夏場を控え、危険を放置できない」と判断した。
◇メモ
<牛生レバーの禁止方針> 厚労省は、食品衛生法の基準の禁止項目に「生食用牛レバーの提供」を追加する規制案をまとめ、4月12日、内閣府の食品安全委員会で了承された。違反すれば、2年以下の懲役か200万円以下の罰金が科される。今月18日まで一般から意見を募集したうえで、同法の基準を改正。早ければ7月1日から禁止される。
『読売新聞』2012年5月13日
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okayama/news/20120512-OYT8T00987.
5月13日(日)
いよいよ「レバ刺し」がご禁制品になる日が近づいてきた。
今年の夏は、「レバ刺し」を肴に冷たいビール、というわけにはいかなくなりそうだ。
この問題は、以前にも取り上げたが、基本的な対立点は、国民の健康を考えた食品衛生管理の徹底か、個人の食習慣・食物嗜好の尊重か、ということだ。
2011年06月29日 「レバ刺し」法的規制の可能性
http://zoku-tasogare-3.blog.so-net.ne.jp/2013-02-02-6
日本では、仏教が浸透した奈良時代以降、江戸時代まで、「殺生禁断」の教えから肉食はほとんど行われていなかった(鯨類は除く)。
もっとも「薬食い」とか「山くじら」とか、抜け道はあったが・・・。
明治の文明開化以後、肉食は急速に普及したが、それでも肉の生食は、まったくと言っていいほど行われなかった。
地方によっては馬や鶏の生食文化が細々とあったが・・・。
それは、牛や豚の生食が、衛生上、リスクが高いことが広く知られていたからだ。
具体的に言えば、寄生虫の感染、細菌による食中毒であり、しかも命にかかわる重篤な症状になることも経験的に知られていた。
だから、肉はよく焼いて(火を通して)食べるのは、一般家庭でも常識だった。
さらに、牛や豚の内臓ということになると、さらにリスクは高くなる。
だから戦前までは、内臓肉を一般人が食べることはまずなかった。
内臓肉を「モツ煮込み」や「モツ焼き」として食べることが一般に広まったのは、戦後の食糧難の時代だと思う。
早い話「闇市」の食文化だった。
それでも、よくよく火を通して食べたことにかわりはない。
牛肉の生食であるユッケを最初に見たのは、父親の患者さんで、かつ私の小学校の同級生である在日朝鮮人の一家が経営している朝鮮焼き肉屋に招かれた時だった。
たぶん1967年前後だと思う。
出されたユッケを父親は食べたが、「おまえは止めておきなさい」と言われて私は食べさせてもらえなかった。
実際にユッケを食べたのは、東京に出て大学に入って少ししてからだった。
学芸大学駅東口商店街にあった、おいしい朝鮮焼肉屋で父親と妹と3人で会食した時、初めてユッケを食べた。
時期は1975年くらいのはずだ。
レバ刺となると、さらに後になる。
1994年か95年か、六本木で遊んでいた頃に、ナンパされたおじさんに連れて行かれた高級韓国焼肉店で食べたのがたぶん初めてだったと思う。
「食べてごらん、精がつくよ」「あたしに精をつけてどうするんですか?」みたいな、しょうもない会話が思い浮かぶ。
確かめた訳ではないが、レバ刺の普及は、バブル期(1990年前後)の韓国系高級焼肉店が始まりだったにではなかろうか?
その頃(1990年代半ば)まで、ユッケやレバ刺はかなりの高級メニューだった。
そして、まぎれもなく、朝鮮・韓国系の食文化だった。
2000年代、ユッケやレバ刺が、どんどん廉価になり大衆化し、たくさんの常食者を持つまでに至った経過を、私はほとんど知らない。
もともと肉の生食には嗜好がないし(馬刺しは除く)、そういう店に行く機会もなかったので。
だから、昨年の富山の食中毒死事件をきっかけに、ユッケやレバ刺が500円以下の低価格で大量に提供されていることを知って、かなり驚いた。
いったいなぜ、これほど多くの日本人が、短期間に急速に朝鮮・韓国系の生肉食文化に染まっていったのか? 食文化的に興味がある。
魚の刺身など日本の伝統的な食文化である「生食」嗜好と、アメリカの食文化に強く影響された戦後育ちの「肉食」嗜好が合体した結果と考えるのが、妥当なところだろう。
しかし、それがなぜ2000年代に起こったのか?は、まだ疑問だ。
生肉食が常態化し強い生肉嗜好を持つ人がこれだけいるのだから、いくら法律で禁止しても、闇メニューで提供する店はなくならないだろう。
この夏から、法規制と闇レバ刺の「いたちごっこ」が始まるだろう。
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牛レバー生食禁止 焼き肉店困惑
「国に逆らえず」「納得できない」
食中毒を防ぐため、牛の肝臓(レバー)を生食用として提供することを全国一律で禁止する厚生労働省の方針に、県内の焼き肉店から「生レバーを楽しみにしているお客さんに申し訳ない」と困惑の声が上がっている。7月にも始まる禁止措置の開始を前に、県は販売自粛を要請。メニューから生レバーを外す店が増える一方で、「衛生に気をつけてギリギリまで出す」という店もある。(辻田秀樹)
◇すでに自粛の店も
販売が禁止されることになった生レバー 厚労省の方針を受けて県は昨年12月以降、保健所を通じて、生食用牛レバーの販売自粛を飲食店主らに文書で呼びかけている。県生活衛生課は「困った事態が起きてからでは遅い。速やかに生レバーの提供をやめてほしい」としている。
こうした動きに対応してメニューから生レバーを外した岡山市内の焼き肉店では、「国や県には逆らえないが、お客さんに『食べられないの』と聞かれるのがつらくて」とため息をつく。
一方、「法律で規制されるまで売り続ける」という店も。同市内の創業30年以上の店では「ずっと生レバーを出しているが、調理には細心の注意を払っており、食中毒は起こしたことがない。禁止には納得できない」と店主が語気を強める。
同店は、インターネットのグルメ情報サイトで生レバーの写真が掲載されており、ネットを見て訪れる客が多い日で50組に上る。ネットで同店を知ったという男性会社員(43)は「行きつけの店が生レバーを出さなくなったので寂しく感じていた。禁止されるまでに、また来ます」と話した。
◇禁止の理由
厚労省が生レバー禁止に踏み切ったきっかけは、昨年4~5月、富山県などで5人が死亡した焼き肉チェーン店の集団食中毒事件だ。厚労省の要請で専門家が牛レバーの安全性を調べたところ、内部から腸管出血性大腸菌などが見つかった。内部まで加熱しない限り、完全に除去するのは難しいといい、「生食での有効な対策は見いだせない」と結論づけたという。
その後も福岡、大阪、東京、岐阜などの各府県で、レバ刺しなどが原因とみられる集団食中毒が発生。厚労省は「食中毒が増える夏場を控え、危険を放置できない」と判断した。
◇メモ
<牛生レバーの禁止方針> 厚労省は、食品衛生法の基準の禁止項目に「生食用牛レバーの提供」を追加する規制案をまとめ、4月12日、内閣府の食品安全委員会で了承された。違反すれば、2年以下の懲役か200万円以下の罰金が科される。今月18日まで一般から意見を募集したうえで、同法の基準を改正。早ければ7月1日から禁止される。
『読売新聞』2012年5月13日
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okayama/news/20120512-OYT8T00987.
2013-02-02 18:22
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