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2012年07月27日  土用の丑の日の鰻 [食文化論]

2012年07月27日  土用の丑の日の鰻
7月27日(金)  晴れ 東京 34.2度 湿度60%

夕食は、「土用の丑の日」ということで、近所の魚屋さんに予約しておいた、鰻の蒲焼。
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この魚屋さんには、毎年、「丑の日の鰻」を予約しているのだが、今年は鰻のあまりの高騰で、6月の末に「今年は中止します」の貼り紙が出た。

ところが、「少し高くても・・・」という声が多かったのだろう。
7月になって「予約受けます。数量限定」の貼り紙が出た。
ただし、お値段は昨年の1800円から2200円に。

ということで、謹んでいただく。
白いご飯に載せて・・・・。
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冗談じゃなく、長年の大好物(私も家猫も子供も)の鰻が食べ納めになるかもしれない。

鯨がたどったと同じ道で、「生物保護」を掲げたアメリカの食糧政策(他国の食文化への不当介入・抑圧)が露骨になっているので。
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米がウナギ輸出入規制検討…稚魚不漁に追い打ち

価格高騰で、ウナギの消費者離れが進んでいる。

1世帯がウナギのかば焼きに費やした金額は5年前の3分の1。高騰の原因は稚魚の不漁だが、米国では輸出入の規制も検討されており、ウナギは“幻の食材”となってしまうかもしれない。

「かきいれ時なのに、暑気払いの接待がほとんど入ってない」と嘆くのは、さいたま市の老舗「中村家」。来店回数が月3回から1回に減ってしまった常連客が何人もいるという。「年々値段は上がり、客数は減るばかりだ」

総務省の家計調査でも、消費者がウナギのかば焼きを購入した金額(外食は含まず)は、急減している。2人以上の世帯が今年5月に払った金額は94円で、昨年5月の半分、5年前の3分の1だ。価格が上がっていることを考えると、消費量の減少は深刻だ。

価格高騰の背景には、3年連続という稚魚の記録的な不漁がある。国内で出回るウナギは、日本から2000キロ以上離れた太平洋のマリアナ海域で産卵。 孵化 ( ふか ) した稚魚は、海流に乗りながら、川への 遡上 ( そじょう ) を目指して日本周辺にやってくるとされる。この時期に国内外で稚魚の漁が行われ、半年から1年以上をかけて成魚に育てられる。

水産庁によると、国内のウナギ養殖業者が今期確保した稚魚は約16トンで、需要量(約20トン)の8割にとどまった。国内での漁獲量は3年連続で9トン程度にとどまっており、これまでは中国や台湾などからの輸入で埋め合わせていた。だが、今期は各国でも不漁となり、必要量を確保できなかったという。これに伴い、稚魚の取引価格も上昇。昨年は1キロ・グラム当たり87万円だったが、今年は200万円を超えているといい、小売価格に跳ね返っている状況だ。追い打ちをかけるように、米国がウナギをワシントン条約の規制対象とすることを検討している事実が判明した。実現すれば、ウナギの輸出入が厳しく制限される見込みという。

『読売新聞』2012年7月28日(土)10:51
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/business/20120727-567-OYT1T01014.html


2012年05月13日  「レバ刺し」、近日、ご禁制品に・・・ [食文化論]

2012年05月13日  「レバ刺し」、近日、ご禁制品に・・・
5月13日(日)

いよいよ「レバ刺し」がご禁制品になる日が近づいてきた。
今年の夏は、「レバ刺し」を肴に冷たいビール、というわけにはいかなくなりそうだ。

この問題は、以前にも取り上げたが、基本的な対立点は、国民の健康を考えた食品衛生管理の徹底か、個人の食習慣・食物嗜好の尊重か、ということだ。

2011年06月29日 「レバ刺し」法的規制の可能性
http://zoku-tasogare-3.blog.so-net.ne.jp/2013-02-02-6

日本では、仏教が浸透した奈良時代以降、江戸時代まで、「殺生禁断」の教えから肉食はほとんど行われていなかった(鯨類は除く)。
もっとも「薬食い」とか「山くじら」とか、抜け道はあったが・・・。

明治の文明開化以後、肉食は急速に普及したが、それでも肉の生食は、まったくと言っていいほど行われなかった。
地方によっては馬や鶏の生食文化が細々とあったが・・・。

それは、牛や豚の生食が、衛生上、リスクが高いことが広く知られていたからだ。
具体的に言えば、寄生虫の感染、細菌による食中毒であり、しかも命にかかわる重篤な症状になることも経験的に知られていた。

だから、肉はよく焼いて(火を通して)食べるのは、一般家庭でも常識だった。

さらに、牛や豚の内臓ということになると、さらにリスクは高くなる。
だから戦前までは、内臓肉を一般人が食べることはまずなかった。

内臓肉を「モツ煮込み」や「モツ焼き」として食べることが一般に広まったのは、戦後の食糧難の時代だと思う。

早い話「闇市」の食文化だった。
それでも、よくよく火を通して食べたことにかわりはない。

牛肉の生食であるユッケを最初に見たのは、父親の患者さんで、かつ私の小学校の同級生である在日朝鮮人の一家が経営している朝鮮焼き肉屋に招かれた時だった。
たぶん1967年前後だと思う。
出されたユッケを父親は食べたが、「おまえは止めておきなさい」と言われて私は食べさせてもらえなかった。

実際にユッケを食べたのは、東京に出て大学に入って少ししてからだった。
学芸大学駅東口商店街にあった、おいしい朝鮮焼肉屋で父親と妹と3人で会食した時、初めてユッケを食べた。
時期は1975年くらいのはずだ。

レバ刺となると、さらに後になる。
1994年か95年か、六本木で遊んでいた頃に、ナンパされたおじさんに連れて行かれた高級韓国焼肉店で食べたのがたぶん初めてだったと思う。
「食べてごらん、精がつくよ」「あたしに精をつけてどうするんですか?」みたいな、しょうもない会話が思い浮かぶ。

確かめた訳ではないが、レバ刺の普及は、バブル期(1990年前後)の韓国系高級焼肉店が始まりだったにではなかろうか?

その頃(1990年代半ば)まで、ユッケやレバ刺はかなりの高級メニューだった。
そして、まぎれもなく、朝鮮・韓国系の食文化だった。

2000年代、ユッケやレバ刺が、どんどん廉価になり大衆化し、たくさんの常食者を持つまでに至った経過を、私はほとんど知らない。

もともと肉の生食には嗜好がないし(馬刺しは除く)、そういう店に行く機会もなかったので。

だから、昨年の富山の食中毒死事件をきっかけに、ユッケやレバ刺が500円以下の低価格で大量に提供されていることを知って、かなり驚いた。

いったいなぜ、これほど多くの日本人が、短期間に急速に朝鮮・韓国系の生肉食文化に染まっていったのか? 食文化的に興味がある。

魚の刺身など日本の伝統的な食文化である「生食」嗜好と、アメリカの食文化に強く影響された戦後育ちの「肉食」嗜好が合体した結果と考えるのが、妥当なところだろう。

しかし、それがなぜ2000年代に起こったのか?は、まだ疑問だ。

生肉食が常態化し強い生肉嗜好を持つ人がこれだけいるのだから、いくら法律で禁止しても、闇メニューで提供する店はなくならないだろう。

この夏から、法規制と闇レバ刺の「いたちごっこ」が始まるだろう。

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牛レバー生食禁止 焼き肉店困惑

「国に逆らえず」「納得できない」

食中毒を防ぐため、牛の肝臓(レバー)を生食用として提供することを全国一律で禁止する厚生労働省の方針に、県内の焼き肉店から「生レバーを楽しみにしているお客さんに申し訳ない」と困惑の声が上がっている。7月にも始まる禁止措置の開始を前に、県は販売自粛を要請。メニューから生レバーを外す店が増える一方で、「衛生に気をつけてギリギリまで出す」という店もある。(辻田秀樹)

◇すでに自粛の店も

販売が禁止されることになった生レバー  厚労省の方針を受けて県は昨年12月以降、保健所を通じて、生食用牛レバーの販売自粛を飲食店主らに文書で呼びかけている。県生活衛生課は「困った事態が起きてからでは遅い。速やかに生レバーの提供をやめてほしい」としている。

こうした動きに対応してメニューから生レバーを外した岡山市内の焼き肉店では、「国や県には逆らえないが、お客さんに『食べられないの』と聞かれるのがつらくて」とため息をつく。

一方、「法律で規制されるまで売り続ける」という店も。同市内の創業30年以上の店では「ずっと生レバーを出しているが、調理には細心の注意を払っており、食中毒は起こしたことがない。禁止には納得できない」と店主が語気を強める。

同店は、インターネットのグルメ情報サイトで生レバーの写真が掲載されており、ネットを見て訪れる客が多い日で50組に上る。ネットで同店を知ったという男性会社員(43)は「行きつけの店が生レバーを出さなくなったので寂しく感じていた。禁止されるまでに、また来ます」と話した。

◇禁止の理由

厚労省が生レバー禁止に踏み切ったきっかけは、昨年4~5月、富山県などで5人が死亡した焼き肉チェーン店の集団食中毒事件だ。厚労省の要請で専門家が牛レバーの安全性を調べたところ、内部から腸管出血性大腸菌などが見つかった。内部まで加熱しない限り、完全に除去するのは難しいといい、「生食での有効な対策は見いだせない」と結論づけたという。

その後も福岡、大阪、東京、岐阜などの各府県で、レバ刺しなどが原因とみられる集団食中毒が発生。厚労省は「食中毒が増える夏場を控え、危険を放置できない」と判断した。

◇メモ
<牛生レバーの禁止方針> 厚労省は、食品衛生法の基準の禁止項目に「生食用牛レバーの提供」を追加する規制案をまとめ、4月12日、内閣府の食品安全委員会で了承された。違反すれば、2年以下の懲役か200万円以下の罰金が科される。今月18日まで一般から意見を募集したうえで、同法の基準を改正。早ければ7月1日から禁止される。

『読売新聞』2012年5月13日
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okayama/news/20120512-OYT8T00987.

2012年02月03日 「杉村久子日記」に見る大阪船場の「節分の巻寿司」習俗 [食文化論]

2012年02月03日
「杉村久子日記」に見る大阪船場の「節分の巻寿司」習俗
2月3日(金)
ついこの間、歳が明けたと思ったら、もう今日は節分である。

節分の「恵方巻」については、3年前に調べて書いたことがある。
(参照)2009年02月03日 節分の「恵方巻」のからくり

要約するとこんな感じになる。

(1) 昭和初期の大阪・船場の商人の間では、節分の縁起もの(厄落とし習俗)として「丸かぶりずし」を食べることが行われていたことが、広告などから確認できる。

(2)その発祥地は、大阪のほか、和歌山(紀州)、滋賀(近江)など候補があり確定はできない。

(3)そうした習俗も、戦後になるとまったく廃れた。

(4)1973年、大阪海苔問屋協同組合が、海苔を使用する巻き寿司販促キャンペーンとして、ポスターを寿司屋などの店頭に貼り出し、翌1974年には、大阪市で海苔店経営者が、海苔の需要拡大を目的に、節分のイベントとして「海苔巻きの早食い競争」を始める。
1977年には、大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った海苔の販売促進行事が、現地のマスコミに紹介され、節分に巻き寿司を食べる習俗が、関西の一部で復活した

(5)コンビニエンス・ストアチェーン(ファミリーマート、セブン-イレブン)が、売り上げの落ちる1月後半~2月初旬の販売促進イベントとして、取り入れたことから全国展開していく。
その時期は、1998年頃かららしい。

(6)首都圏で「節分の恵方巻」の認知が広まったのは、ごく最近、2000年代になってからである。

つまり、以前から、大阪船場あたりの狭いエリアで細々と行われていた習俗が、最初は海苔問屋、続いてコンビニエンス・ストアの販売促進という目的で、あたかも伝統的な習俗であるかのように宣伝され、世間に広まってしまったということ。

「目を閉じて一言も喋らず」というのも、その過程で、誰かが言いだしたのかもしれない。
商業ベースで、年中行事(習俗)らしきものが捏造されたという点では、同じ2月のバレンタインデーのチョコレートとそっくり。

で、(1)の昭和初期の大阪・船場の商人の間では、節分の縁起もの(厄落とし習俗)として行われていたことについて、最近読んだ荒木康代『大阪船場おかみの才覚-「ごりょんさん」の日記を読む-」(平凡社新書 2011年12月)に記述があるので、紹介しておく。

この本で読解・紹介している「日記」は、大阪船場の商家に嫁いだ杉村久子(1875~1945年、旧姓:五代)という女性が残した「日記」。

その昭和2年(1927)の2月4日の条に、当時は大阪府伊丹町に住んでいた久子が女中とともに前日から用意しておいた材料で、節分の巻き寿司を作った記述が見える。

「台所六時起出つ。久子七時半起出、洗面。八時半参詣し九時より台所へ出、寿し材料昨日巻し分を味滲み、高野、椎茸、かんぴょうなど皆味を付け出し、飯たき上げしを酢をかげんして、まぜてさまさせ、厚やき切り、高野きり、あなごす焼きにさせて、後に味醂を付けてきざみ、海苔あぶりなど準備手間取り、やっつ十一時より巻にかかる。十二時迄に五本巻き置きて、中食。台所下女うわのはしにて中食させ、十二時半より松と二人にて巻き、一時半大阪送りの分揃う。準備九時より、十一時より巻かけ久子任七本、松任二本巻、三時に終り、四時片付け終わる。」

この朝、久子はいつもより早く起き、9時から女中たちを指揮して巻寿司の下準備にかかる。
水で戻した高野豆腐、椎茸、干瓢に味を滲ませ、飯を炊いて酢加減して冷まし、酢飯を作る。穴子を素焼きにして味醂を付けて刻み、海苔をあぶってやっと準備完了。
11時から手分けして巻き始め、昼食を挟んで13時半までに、大阪に送る分が完了、さらに巻く作業を15時まで続ける。

贈り先リストによると、この日、久子が女中とともに作った巻寿司は合計50本。
自宅と店の分以外に親戚、知人に贈っているが、家族だけでなく雇人や女中の分もきちんとカウントして贈っている。

つまり、節分の巻寿司は、身分に関係なく1人1本であったことがわかる。

同時に、久子から巻寿司を贈られている実家の五代家の関係者や伊丹町の友人たちの家では巻寿司は作っていないと推測される。

「杉村久子日記」からは、節分の縁起物としての巻寿司が大阪・船場の商家という限られた範囲の習俗であったことが読み取れる。


2012年01月04日 失われた蕎麦を求めて [食文化論]

2012年01月04日 失われた蕎麦を求めて

1月4日(水)
夕食は、西武秩父駅の「仲見世」で買ってきた田中製麺所(秩父郡小鹿野町下小鹿野)の生蕎麦を茹でる。

かなり色が濃い外観にひかれて試食してみる気になったのだけど、茹でていて、これは駄目だと思った。
お湯が白濁しないのだ。
蕎麦湯としての価値がないので、お湯を捨ててしまった。
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食べてみて、やっぱり・・・と言う感じ。

昨日の夜に仕込んで一日寝かせた付け汁が上手にできたので食べられるが、はっきり言って、わざわざ買って食べるレベルではない。

ただし、田中製麺所の名誉のために付けくわえると、東京の蕎麦屋でこのレベルの蕎麦を出している店はいくらもある。
さらに、これ以下の店もある。

5段階評価だとCで、付け汁がまともならC+もある。
つまり、普通ということで、けっして駄目なわけではない。

口直しに「武蔵屋」(秩父市番場町)の半生蕎麦を1袋だけ茹でる。
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食べた途端に、
子供「絶対にこっち」
パートナー「ぜんぜん違う」

そうなのだ。
蕎麦の味が全然違う。

こちらは5段階評価でA-(店で食べればA評価)

最近はやたらと蕎麦の蘊蓄を垂れる人もいるが、蕎麦なんて、そもそも山村の代用食で、そんな複雑玄妙な食べ物ではない。
それなりの蕎麦粉でそれなりの水を使い、すべきことをちゃんとして打てば、十分においしい蕎麦ができる。
おいしくない蕎麦は、それをしていないということなのだ。

私の故郷では、大事な来客があると、主人が客の相手をしている間に、その家のおばあちゃんが蕎麦を打ち、おかみさんが蕎麦汁を作る。
小一時間して、客がそろそろ腰を上げようかという頃に「どうぞ、食べてってください」と蕎麦が出て来る。

私も子供の頃、父親のお相伴で、何度かご馳走になった。
もちろん、どの家でもできることではない。
蕎麦打ち上手のおばあちゃんがいる家でのことだ。
いまから45~50年前、昭和30~40年代の話。
私が求めて止まないのは、そうした蕎麦打ち上手のおばあちゃんが打った蕎麦の記憶、味なのだ。

それに一番近いのが、今のところ「武蔵屋」の蕎麦ということ。
あの蕎麦打ち上手のおばあちゃんの蕎麦は、もうこの世から失われてしまったのだと思う。


2011年09月26日  吉祥寺「クゥーチャイで」で餅米カレーを食べながら考えたこと [食文化論]

2011年09月26日  吉祥寺「クゥーチャイで」で餅米カレーを食べながら考えたこと
9月26日(月) (承前)
昼食は、南口駅前通りのタイ料理「Khuchai(クゥーチャイ)」へ。

前回、とてもおいしかった「48Redカレー」をまた注文。
今回は、ご飯をもち米(+100円)にしてみる。
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↑ 籐の筒型容器に蒸したもち米が入っている。
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↑ もち米を取り出すとこんな感じ。
生春巻と小さなトムヤンクンスープがついたレッドカレー(もち米)のランチセット(980円)。

「48Redカレー」の「48」は48時間煮込んでいるということ。
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↑ 見るからに濃厚そう。

前回、このブログに感想を書いたら、オーナーさんが「ウチのカレーは野菜を多く煮込んで居るので、味が毎日毎回違うかも知れません」とコメントをくださった。

たしかに、前回と中身が違う。
まず、見た目で前回は入っていなかった(と思う)ナッツを確認。
次に食感でサツマイモを確認。

だけど、ひとつ判らないものがある。
直方体で中が詰まってなく、食感は植物性たんぱく質系。
隙間にカレーが浸みこんでいて、よく合う。

お水を注ぎに来た、引退試合(10月2日:後楽園ホール)を目前にして減量ですっかり精悍さを取り戻したオーナー(キックボクシングの元日本フライ・バンタム級チャンピオン深津飛成さん)に尋ねてみた。

「厚揚げを揚げたものです」

なるほど・・・、植物性たんぱく質系というのは当っていたけど、厚揚げの(二度揚げ)までは思い至らなかった。

仏教徒が多いタイでは肉食を避ける人が多いから、この手の植物性たんぱく質(大豆系)の食材はよく用いられる(日本でいう精進料理)。
その応用なのだろうな。

カレーは文句なくおいしい!

ただ、前回のインディカ米のように、スプーンがどんどん進まない。

濃厚なカレーと、もっちりしたもち米の相性は食感的に悪いわけではない。

単純に食べにくいのだ。スプーンでは・・・。

インディカ米のようにカレーをかけてサクサクと食べられない。
ひと塊りになっているモチ米をスプーンで少量切って、そこのカレーをかけて、いっしょに持ち上げて食べる。
どうにもまどろっこしい。

で、考える。
そもそももち米をスプーンで食べようとするのが間違いなのだと・・・。

おそらく、東南アジアで、もち米とカレーを食べる場合は、もち米を手づかみにしているのではないだろうか。

適量のもち米を握って、その端をカレーに浸して食べる、そんな感じだと思う。
そうすれば、もっと食べやすく、おいしく感じるように思う。

ただ、日本にはそういう食習慣(食べ方の作法)がない。
自宅ならともかくレストランでそれをするのは、ちょっとはばかられる(一応、女性だし・・・)。

食文化というものは、本来、食材や調理法から食事の仕方(作法)までの総合的な文化体系だ。
それをそっくりセットで移入した場合は問題ないのだが、現実にはそうでない場合がけっこうある。

たとえば、洋食であるハンバーグを箸で食べる日本人はけっこういる。
どこまで、食文化のセットを追求するかは、けっこう難しい問題のように思う。

というわけで、もち米カレーを食べながら、思いがけず食文化的思考をしてしまった。


2011年09月18日 クスクスはなぜ流行らない? [食文化論]

2011年09月18日 クスクスはなぜ流行らない?
9月18日(日)  晴れ  東京 31.7度 湿度 55%(15時)

昼食は、パートナーが買ってきた、鴨肉のローストとクスクス。
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クスクスは、一見、粟粒に見えるが、硬質小麦の一種であるデュラム小麦(Triticum durum)の粗挽粉に水を含ませ、小さな粒状(1mm大)にしたもの。

クスクスを主食とし、肉やスープ類と共に食べる料理を総称してクスクス料理という。

北アフリカ、もしくは、その北のシチリアで発祥したと考えられ、シチリアやサルデーニャの伝統料理でもあり、アルジェリアなどマグレブの主要な料理。
また、アフリカのギニア湾岸諸国(ガーナ、セネガルなど)にも分布する(サハラ交易で伝わった?)。
現在では、フランスや中東(シリア、レバノンなど)でも食べられる。

う~ん、正直言って、おいしくない。
古典的日本人である私の口には合わない。
問題は、やはりボソボソした食感か。

日本人のでんぷん食に対する伝統的な食感は、モチモチ感が必需。
餅、おこわ(=強飯)、ご飯、蕎麦、うどん、芋(里芋、山芋)など、程度の差はあれモチモチ感を好む。
外来のものでも、パン、饅頭、ナンなど、モチモチ感があるものは受け入れられる。

クスクスにはそのモチモチ感が欠けている。

こうした日本民族の伝統的なモチモチ嗜好は、北インドから東南アジア、中国南部、そして西日本に広がる暖温帯(照葉樹林帯)の食文化(モチ食文化)と共通するもので、日本人の先祖ががどこから来たか?という問題に示唆を与えてくれる。

それだけに、モチモチ好みは、けっこう根深いものがあると思う。

夜は、武蔵屋のお蕎麦を茹でる。
付け合わせは、牛肉と長葱の醤油炒め。


2011年08月31日  フカヒレも鯨肉の二の舞? [食文化論]

2011年08月31日  フカヒレも鯨肉の二の舞?
8月31日(水)

この調子だと、いずれフカヒレも鯨肉の二の舞だなぁ。

種が絶滅してしまうような乱獲は避けるべきなのは当然だが、特定の民族の食文化を法律で規制することには賛成できない。

こんなことを続けていけば、アングロ・サクソンが食べるもの以外は、食べてはいけないということになりかねない。
そんなのは、食文化帝国主義だ。

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フカヒレ食べ納め? 米カリフォルニア州で売買禁止法案

全米最大の中国系人口を擁する米カリフォルニア州で、中華料理の高級食材フカヒレの売買や所有を禁じる法案が州上院予算委員会を通過した。フカヒレ目当ての乱獲批判から中国系議員らが提出したが、他の中国系の団体や政治家らは「文化慣習への侵害」と猛反発、議論になっている。

カリフォルニアは中国系が約125万人と、全米の約3分の1を占めており、フカヒレ消費量は全米の約85%に及ぶとされる。州下院はすでに通過しており、9月にも開かれる上院本会議でも可決されれば、2013年から州内の料理店などでの販売が禁じられ、自宅でも調理できなくなる。

法案は、中国系で民主党の州下院議員、ポール・フォン氏らが提出した。ロサンゼルス・タイムズ紙によると、フォン氏は長年フカヒレスープを食べてきたものの、漁によるサメの絶滅危機を描いた映画を数年前に見て反対派に転じた。俳優のレオナルド・ディカプリオ氏らが法案支持の手紙を上院議員宛てに出し、中国出身の米プロバスケットボール(NBA)の元スター選手、姚明(ヤオ・ミン)氏も反フカヒレの動画を撮影して運動に加わり、支持が広がった。

これに対し、中国系の食品事業者らは「アジア文化への攻撃になる」として、他の中国系議員らと法案反対のロビー活動を展開。「中国系社会の分断」と米メディアは報じている。

中国や各国の中国系富裕層の増加を背景に、フカヒレ漁によって、世界で年間推計約7300万頭のサメが命を落としている。米連邦政府は今年1月、フカヒレ漁の規制強化法を成立させた。(ロサンゼルス=藤えりか)

『朝日新聞』2011年8月31日10時13分
http://www.asahi.com/food/news/TKY201108290411.html

2011年06月29日  「レバ刺し」法的規制の可能性 [食文化論]

2011年06月29日  「レバ刺し」法的規制の可能性
6月29日(水)

「レバ刺し」(牛レバーの生食)が法律で禁止される可能性が出てきた。

我家は、ほとんど肉の生食をしない(馬刺は除く)ので関係ないが、生肉食人にとっては重大問題だろう。

そもそも、何を食べるかを法律で規制することは適切ではない。
人間が何を食べるかは基本的に自由だからだ。

ただ、食品の提供の仕方を法律で規制することはできる。
たとえば、魚種と部位を法律で規制し(食品衛生法)、調理人を免許制にしている(都道府県のふぐ条例)河豚(ふぐ)料理のように。

今回の法規制が実現すれば、やはり食品の提供の仕方を規制する形になるだろう。

でも、仮に「レバ刺し」を実質的に法律で禁止しても、「闇」で食べる生肉食人は後を絶たないだろう。

逆に、不衛生な「闇生肉レストラン」がはびこることで、食中毒が増加し、逆効果になるように思う。

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時:8月のある熱帯夜
場所:新宿ディープ歌舞伎町の裏路地

客:例のブツあるかい?
売人:旦那、すいません。今日の入荷分がサツの手入れでやられちまって・・・。
客:えっ、ほんとうにないのか? 俺、もう3日も喰ってないんだよ(手に震え)。
売人:(ありゃ、禁断症状かよ。じゃあ在庫処分すっか)ないこともねぇんですが・・・。
客:なんだ、あるのか。なら買うよ。200g1万円だったよな。
売人:へえ、ただちと鮮度が・・・(クーラーボックスの底から肉塊を取り出す)。
客:いいよ、胡麻油に通せばたいてい大丈夫だから。
売人:じゃあ、100gおまけして、300g1万円で。
客:それはうれしいな。ああ、これでたっぷりレバ刺が喰えるよ。
売人:保冷材、多めに入れておきやす(やれやれ在庫がさばけた)。
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「レバ刺し」も生食の規制検討 厚労省の審議会

焼き肉チェーン店「焼肉酒家えびす」の集団食中毒事件を受け、生食用牛肉の罰則付き衛生基準を検討する厚生労働省の審議会の初会合が28日開かれ、肉だけでなく、内臓のレバーについても、生食の規制の是非を検討することを決めた。

厚労省によると、肉は表面を削り取る「トリミング」をすれば食中毒の原因となる菌を取り除くことができるが、レバーは中心部まで菌で汚染されている場合がある。今後の議論次第では、飲食店での生レバーの提供が禁止される可能性も出てきた。

この日の会合では複数の委員が「生レバーが原因の食中毒が相次いでいる。何らかの規制が必要だ」と主張した。

【共同通信】 2011/06/28 21:02 http://www.47news.jp/CN/201106/CN2011062801001217.html


2011年05月08日 そんなに生肉、食べたい? [食文化論]

2011年05月08日 そんなに生肉、食べたい?
5月8日(日)

あちこちネットを見ていると、肉の生食への欲求が強いことに驚く。

「ユッケ、食わせろ ウォ~ぉ!」「生肉、食わせろ!、ガォ~ぉ!」という感じ。

もちろん、そういう人たちは、政府の生肉食の規制方針(衛生基準の強化)には大反対らしい。

おもしろいのは、そのほとんどが20~30歳代の男性ということだ。

これは食文化的に見て、とても興味深い現象だと思う。

人間の先祖が火を使い始めたのは、おそらく原人段階、年代的には諸説あるがだいたい100万年前だと思われる。

たぶん、火の使用から程なくして、その火で狩猟で得た動物の肉を焼くことを覚えたのではないだろうか。

つまり、火を使った肉の加熱処理は、とても古い文化で、それが人間の食文化(調理)のスタートだと言ってもいい。

火で肉を焼くことで、肉のたんぱく質が変成し、消化・吸収が良くなり、結果、栄養状態が改善され、さらに大脳の発達に寄与した。
また細菌や寄生虫による健康への害が減って寿命も伸び、人口が増大したと思われる。

たぶん、原人段階でも、肉は生よりも焼いた方が、おいしいし、リスクが少ないというは、経験則的に知っていたのではないだろうか。

そう考えると、現代日本で、肉の生食に強い欲求をもつ人は、北京原人以前の、きわめて原始的な食文化状態へ戻ろうとしていることになる。

「先祖返り」にしても、約100万年も戻ったことになる。

こうした原始文化(プリミティブ)への回帰欲求としては、服飾・装身文化におけるタトゥーやピアッシングがよく知られているが、それと同様なものなのだろうか?

なぜ、食中毒や寄生虫病のリスクを冒してまで、それほど生肉を食べたがるのか?

「生肉を食べると精がつく」という説がある。

生肉を食べてれば、どんどん働けて、どんどんSexできるということだ。

どうも、生肉食欲求が20~30歳代の男性に強いのは、この言説と関係がありそうだ。

でも、実際には、生肉食は、たんぱく質の消化吸収が悪く、エネルギーの摂取効率的にはよろしくない。
実は、精はつきにくいのだ。

なのに「精がつく」と思われているのはなぜなのだろう?

原始的な血・肉の呪力への信仰なのだろうか?
それとも草食獣を狩ってその生肉を食らう肉食獣の力が乗り移るのだろうか?

ユッケを毎日食べている男性の精力(勃 起力・射 精量)を、そうでない同年代男性と比較した研究とかないだろうか?(← にゃいにゃい)

そもそも歴史的に、生肉食と精力をリンクさせる言説は、いつ頃出て来るのだろう?
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歌川広重の名所江戸百景シリーズの「びくにはし雪中」(この画は二代広重の補作)は、雪が降る寒い夜、「山くじら」(山鯨=獣肉=鹿・猪・熊)で精をつけた後、「びくに橋」(遠景に見えている)を渡って、比丘尼(尼さんの格好をした非公認のセックスワーカー)の所に繰りこむという行動の流れが読み見取れるという説もあるが・・・。

ただ、山くじら屋の獣肉はちゃんと焼くか煮込んであるはずで、生肉ではけっしてない。

「鰻を食って精をつける」という言説は、江戸時代後期にはある(平賀源内が作った)。
「牛鍋食って精をつける」という言説は(たぶん)明治時代にはあった(と思う。未確認)。
新吉原遊廓の大門前(土手通り)には「中江」という老舗の桜(馬肉)鍋屋さんがある(明治38年=1905年創業)。

でも、「生肉を食べると精がつく」という言説は、欧米ではともかく日本ではかなり新しいと思う。

う~ん、生肉食欲求については、いろいろわからないことが多い。
機会があったら、調べてみよう。


2011年04月22日 野蒜をいただく [食文化論]

2011年04月22日 野蒜をいただく
4月22日(金)
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信州中野の茜染めの染色家、田中ゆきひとさんから、野蒜(のびる)をたくさんいただいた。

野蒜は、私にとって、故郷の子供時代を思い出させる野草。

田中さんのMixiの「日記」に野蒜採りのことが出ていたので、「いいな~ぁ、おいしそうだな~ぁ」とコメントしたら、わざわざ送ってくださった。
しかも、こんなにたくさん。
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驚いたのは、野蒜の玉の大きさ。
子供の頃、庭の隅に生えているのを抜いてきて、お味噌を付けて食べていたが、長径1cmもあれば十分大粒だった(下の写真の右端)。
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今、測ってみたら、いちばん大きいの(左端)は、なんと3cmもあった。
こんな超大粒は見たことがない。
降り積もる落ち葉が養分たっぷりの腐葉土になる北信州の山の豊かさを示しているのだと思う。

ノビル(野蒜、学名:Allium macrostemon)は、ユリ科ネギ属の多年草。
東アジアに広く分布し、日本では北海道から沖縄まで、畦道や畑地の周辺、休耕地、堤防などの土手などに自生する野草。

葉とともに、地下にできる鱗茎が食用となる。
生葱のような強い香りと、ひっとした辛味があるところから、「ひる」の名が付いた。

アメリカ大陸の近縁種は、英語でWild Onion(野生の玉葱)と言われる。
古い時代に、他の有用作物と共に日本へ入ってきた、いわゆる史前帰化植物ではないかとも言われるが、はっきりしたことはわからない。
でも、少なくとも奈良時代には食べられていた。
『万葉集』3529番の長忌寸意吉麻呂の歌に出て来る。

醤酢(ひしほす)に 蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて 鯛(たひ)願ふ
吾にな見えそ 水葱(なぎ)の羹(あつもの)

(意訳)醤(ひしお)と酢をまぜたものに蒜(ひる)をつぶして合わせた調味料で鯛を食べたいな。水葱(なぎ)の羹(あつもの)なんかはいらないよ。
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↑ こうやって株が分かれていく。なるほどユリ科だ・・・。
これも初めて知った。
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↑ 夕食に、田中さんお勧めの味噌炒めにして、いただいた。
おいしかった~ぁ。
これでだけで、ご飯一膳。

田中さん、ほんとうにありがとうございました。

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