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2005年3月4日 美容院&お手入れ日 [フルタイム移行日記]

2005年3月4日 美容院&お手入れ日

3月4日(金) 曇り

10時30分、起床。
窓の外を見ると、雪は積もっているものの、それほどの量でもなく、早くも融け出している様子。

今日は、明日からの関西出張に備えて、休養するつもりなので、ゆっくり朝昼ご飯。
13時半、雪が融けた道を仕事場へ。

メールチェックの後、着物(結城紬)&長襦袢&帯の1セットを宅急便で、京都の定宿に発送。
その後、お掃除、洗濯などの雑用をかたずける。

17時、行き付けの美容院へ。
前回は12月25日だったから、2ヵ月以上たってる。伸びるはず。
金曜日のせいかかなり混んでる。
いつもなら「またにします」で帰るところだけど、今日は時間がゆっくりあるので、大丈夫。

先生に「ずいぶん伸びたわね。毛の質が良いのだから、もっと伸ばして自毛で結い上げなさいよ」と、私の事情(男女二重生活)を知ってるくせに言う。

「それができるのなら、とっくにやってますよ」と返事。

2時間かけて、シャンプー、カット、フェイス・マッサージ(オイル・マッサージ)。
気分はかなりリラックス。

夕ご飯は、外で食べて、21時、仕事場に戻る。
まず、髪が短くなると目立つ生え際の白髪染め(ブラウン)。
お風呂に入りながら、この1ヵ月ほどの忙しさで放置して、すっかり痛んだ爪の手入れ。
お風呂から出て、久しぶりに、色のついたマニュキュア(藤色)を塗る。

保湿フェイス・マスクをしながら、仕事関係のメールのお返事2通と日記を書く。
(↑現在の状態)

就寝1時半(仕事場)。

「フルタイム移行日記」について [フルタイム移行日記]

私は、2008年4月に、それまで13年間つづけた「男女二足の草鞋」生活にピリオドを打ち、フルタイム女性生活に移行した。

53歳の誕生日の少し前のことだった。
なぜ50歳を過ぎて、今さらそうしたのかは、いろいろ複雑な事情もあるのだが、基本的には、男女二重生活が精神的にも肉体的にも辛くなったからだ。
とくに女性としての仕事がどんどん多くなると、男女二重生活は時間的なロスが多く、それが加齢による衰えと相まって、体力面にも響くようになっていた。

もちろん、フルタイムへの移行が、家族や周囲の理解が得られそうだという見通しをもってのことだった。

結果は、まったくではないがほとんど軋轢もなく、フルタイム女性生活に移行することができた。

それから早いもので4年半が経つが、社会的女性としての日常はすっかり定着し、心理面でも安定し、健康もそれなりに取り戻し、仕事も充実している。

「続・たそがれ日記」を書いていた7年半は、私のフルタイム女性移行の時期を含んでいる。
取りたてて「フルタイム移行日記」というものを記していたわけではないが、関係する記事をまとめておくのも、少しは意味があるかもしれない。

私の場合、パートタイム時代に、すでに女性としてのいろいろな経験を積んでいるので、フルタイムになって「初」ということはほとんどなかった。

ただ、自分の髪の毛を長く伸ばしたのは初めてのことだった。
と言うより、髪を伸ばし始めたことが、フルタイム移行への第一歩だったことが、今回、アーカイブ化のために記事を見直してみて、よくわかった。

と言うことで、「フルタイム移行日記」は、髪を伸ばし始めるところから始めよう。

生活は

2012年07月04日 こんな時代もありました [古い写真帳から]

2012年07月04日 こんな時代もありました

7月4日(水)
ブログ、なんだかうっとおしい話が続いているし、個人的にも苦手な気候の上に、田舎から父親の体調悪化の知らせがあって、気持ちが沈みがち。

気晴らしに、少し前に保存処置(ポラロイド写真のデジタル画像化)した昔の写真を披露。
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撮影は1992年2月11日。
「オールジャパン(全日本女装写真コンテスト)」の応募写真作りのため、試写を繰り返していた頃。

黒のボディコン超ミニワンピースに、黒のロンググローブ、ガーターベルトで吊ったストッキングにはゴールドの蛇というファッション。
透過性のある布を組み合わせた背景も、私の工夫。

迷った末に最終的には、同じ構成でこのポーズではない(座りポーズの)写真(↓)を応募して、最多得票特別賞・写真技術賞の二冠をいただいた。
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ちなみに、現在、ファッションや「萌え」業界で使われる「絶対領域」(ボトムスとソックスの間の太ももの素肌が露出した部分)という言葉、当時はまだない。
でも、このコーディネートは明らかにその部分を意識している。
「絶対領域」の概念が生まれるのは、この写真の15年後くらいだと思う。

今ではすっかり「おばちゃん」化している私にもこんな時代があったということ。

2012年06月02日 黄色と黒のサマードレス [古い写真帳から]

2012年06月02日 黄色と黒のサマードレス

5月28日(月)

先月から、少しずつ進めている昔の写真の再生・保存(デジタル画像化)作業。
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撮影は1993年8月12日。

この写真、友人に撮ってもらいプリントをもらった写真で手元にネガがない。
また、自分のカメラでないので、ストロボの光量が不足していて、コントラストが悪い。
複写して、画像処理して、なんとかここまで再生。

この黄色と黒のオフショルダーのサマードレスは、この日のために「渋谷東急109」で買ったもの。

現在よりずっとずっと痩せているけど、肩幅はがっちり広い。
オフショルダーはやっぱり辛い・・・。

それに太腿の筋肉が、まだ女性化してなくて、スピード・スケートをやっていた少年の頃の名残がたぶんにある。

開店前、待機中のキャバレー・ホステスという風情だが、実は1993年度「全日本女装写真コンテスト」の発表・授賞式の直前。

この約1時間後、史上初の2年連続の最多得票特別賞&写真技術賞に輝くも、僅差でグランプリを逃し(2度目の準大賞)、悔し涙にくれることになる。
私の「競技女装」全盛の頃の写真。


2012年05月28日 まったく記憶がない・・・写真 [古い写真帳から]

2012年05月28日 まったく記憶がない・・・写真

5月28日(月)

少しずつ進めている古いポラロイド写真の再生・保存(デジタル画像化)作業。
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撮影は1991年11月7日。

白黒の細縞のオーバー・ブラウス、黒のミニスカート、赤系の華やかなスカーフ。
私にしては比較的珍しい7分身の構図。

写真の欄外に「単行本モデル撮影」とメモがある。
でも、まったく記憶がない。

カメラマンの名刺がいっしょに保存されていたので、実際に「エリザベス会館」(女装クラブ。当時は神田岩本町から江東区亀戸に移転した直後)にカメラマンが来て、撮影したのは間違いないのだが・・・。

私が世の中に流通するメディアに出た最初は、1991年12月に創刊された『Cross Dressing』(光彩書房)の「エリザベス美人御写真」。

まだ在籍1年半の新人にちょっと毛が生えたくらいで、6枠しかない「エリザベス美人」のモデルに選ばれたのは、抜擢だった。

この写真は、その少し前の撮影ということになる。

でも「単行本」の書名も著者もまったく覚えがない。
私は本や雑誌好きなので、自分が出たものはほぼ完全に入手して保存しているのだが・・・。
私の写真が没になったのか、それとも単行本そのものが出なかったのか?

ここまで考えて、もう1つの可能性に思い当たった。
この「単行本モデル撮影」は、実は『Cross Dressing』の撮影ではなかったのか?
私が『Cross Dressing』を雑誌とは思わず「単行本」だと誤解して、メモしたのかもしれない。

でも、『Cross Dressing』に載った写真は黒のドレスで衣装がぜんぜん違う。
着替えたのかな?
そう言えば、撮影にしては普段着っぽい・・・。

なにしろ21年前のこと、しかも当時は「日記」を付けていなかったし、いろいろ記憶が遠くなっている。

【追記(29日22時)】
『Cross Dressing』の編集長だった山崎邦紀さんから[Face book」で、カメラマンは「岡崎」さんという方だと教えていただいた。
今日、保存されていた「単行本モデル撮影」のカメラマン氏の名刺を確認したら「写真家・栗山欣也」さんという方だった。
ということは、1991年11月7日の「単行本モデル撮影」は、『Cross Dressing』の撮影とは別だったということで、「謎」は振り出しに戻ってしまった。

2012年05月23日 薔薇の花のドレス [古い写真帳から]

2012年05月23日 薔薇の花のドレス

5月23日(水)

最近に、少しずつ進めている古いポラロイド写真の再生・保存(デジタル画像化)作業。
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撮影は1992年11月26日。
黒とピンクで薔薇の花をデザインしたミニ・ドレス。
肩と腰のピンクは薔薇の花弁をイメージしていて、黒いレースには薔薇の花の模様がある。
当時在籍していた女装クラブ「エリザベス会館」の先輩、南麻衣子さんからのいただき物。
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エリザベス時代から新宿歌舞伎町時代まで、ここ一番の晴れ着として愛用した。
もう着ることはないと思うけど、大切に保管してある。


2012年05月19日 藤とつつじの思い出 [古い写真帳から]

2012年05月19日 藤とつつじの思い出

5月19日(土)

私は5月生まれ。
5月の花というと、藤とつつじを思い出す。

暖かい東京だと4月末が見頃だと思うが、私の故郷は北関東なので、藤もつつじも5月になって花盛りになる。
故郷の家の庭には、池の畔に藤の老木があり、毎年、池の水面に花房が垂れていた。
つつじの木も庭のあちこちにあり、花がたくさん咲いていた。

今年の東京は、4月の半ばになっても寒さが残り、また雨の日が多く、藤もつつじも咲き頃、見頃を逸した感じで、どちらもきれいな写真が撮れずに残念だった。

下の写真、1枚目と2枚目は1993年5月3日、つまり19年前に亀戸天神(江東区亀戸)の「藤祭り」に出かけた時のもの。
藤色を意識したファッション・コーディネート。

亀戸天神は、江戸時代からの藤の名所。
この年は、ちょうどGWの頃が、藤もつつじも見頃だった。
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天神さんの境内にはアマチュア・カメラマンのおじさんがたくさんいて、ポーズをとると、いくつものシャッター音が聞こえる。
中には、翌年の「藤祭り」で「はい、去年の写真」とプリントを渡してくれる人もいた。

3枚目は、昨年2011年4月24日、近所の藤がきれいなお宅の前で。
2000年代の東京は温暖化で4月中に藤が満開になる年が多くなった。
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19年隔てた写真、私の顔の輪郭がぜんぜん違うけど、整形手術はしていません。


2012年05月16日 19年前のウェディングドレス写真 [古い写真帳から]

2012年05月16日 19年前のウェディングドレス写真

5月16日(水)

部屋の片付けをしていたら、出てきたポラロイド写真。
今から19年前の1993年6月9日の撮影。
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当時、亀戸(江東区)にあった女装クラブ「エリザベス会館」のウェディング月間(6月)で、私の好きな黄色のウェディングドレスが新入荷したので撮ったような記憶がある。

お金払って、ドレス着て、写真撮ってなんて、馬鹿なことをしてるな、と思う方も多いだろうが、自分としてはこの手の写真、撮っといて良かったと思う。

今になっては撮る気にもならないし、たとえ撮っても容姿的にぜんぜん駄目だと思うし。

ポラロイド写真で、もともと発色、コントラストが悪い上に、やや退色していたのを、画像処理して、コントラストと彩度を上げてみた。
ただ、ピントの甘さはどうにもならない。
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あ、「自己愛性人格障害」だということは、十分、自覚してます。

【追記】下の写真は同じ日にフィルムカメラで撮影したもの。
発色は、こちらの方がずっと良い。
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2011年06月15日 1994年4月29日:横浜 [古い写真帳から]

2011年06月15日 1994年4月29日:横浜

6月15日(水)

昔の写真を整理していて発掘。

撮影日は、1994年(平成6)4月29日。
もう17年も前。

場所は、横浜。
キャンディ・ミルキィさんが編集発行していた女装雑誌『ひまわり』の撮影会に、テレビの取材が入るというので、賑やかしに行ったのだと思う。
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↑ ベイ・ブリッジ下の駐車場で。
お気に入りの黄色と黒のストライブのブラウスに黒のマイクロミニ。
この頃の私の外出ファッションの定番。
この写真は、わりとお馴染み。
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↑ 山下公園で。後は氷川丸。
海岸が風が強く、髪が乱れて、撮影には不適だった。
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↑ 横浜中華街の街角で。
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↑ やはり横浜中華街の街角で。
ストリート・ガール(街娼)に間違えられて、オジさんに声をかけられた。
こんな真っ昼間っから立ってないって(笑)。
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↑ 中華街の近くの公園で。
カメラマンの求めに応じてポーズ。
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↑ 公園のベンチでテレビ取材を受ける。
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↑ 後方で子供たちが遊ぶ公園に怪しいお姐さん。

この時、取材された内容は、「今夜は好奇心:夫が女装する時」(フジテレビ:1994年07月18日)で放送された。


2011年05月18日 忘れていた18年前の大振袖写真 [古い写真帳から]

2011年05月18日 忘れていた18年前の大振袖写真

5月18日(水)

3・11の大地震で一部崩落した書棚を片付けていて、発掘した写真、第2弾。

「エリザベス会館」に通っていた1993年6月撮影の大振袖姿。
つまり、18年前の写真。
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未公表ではないが、「順子の思い出写真館」には載せていない。
たぶん大振袖の柄が、当時の私の好みではなかったのだろう。

今見ると、少しサイケデリックな感じもある現代的な意匠で、悪くないと思うのだが・・・。
その後、着物の勉強をいろいろして、着物の色柄の好みがかなり変わったということだろう。
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それにしても、頬から顎のラインがシャープだなぁ。
現在の丸顔とは全然違う・・・。

ところで、「エリザベス」時代(1990年6月~1994年8月)の私は、だいたいお正月にお振袖を着ていたので、なぜ6月なんかに着たのだろう?と不思議に思っていたのだが、下の写真で思い出した。
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↑ 妹分の岡野香菜さんと。

6月の「エリザベス会館」は、ウェディング月間(ウェディング関係の衣装レンタル代が何割引きかになる)。
それで、友人がウェディングドレスを着て、私たちが花嫁の友人として披露宴に出席という設定にしたのだった。

どうも妹(香菜)はすでに嫁に行っていて訪問着、行き遅れの姉(順子)は大振袖ということだったらしい。

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